「セラピスト」2月号にエッセイを掲載しています

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アートセラピスト雑誌掲載 お知らせ情報

少し前のことになりますが、
2023年1月7日発売の雑誌「セラピスト2月号」にアートセラピストとしてエッセイを寄稿しています。

エッセイということなので、アートセラピーについてのHow Toや、仕事上のエピソードではなく、普通の日常のことを書きました。

 

いつもは、クライエントさんの心の中でどのような現象が今起こっているのか…ということを一緒に考えている私ですが、

エッセイ文を作ることで、今回は、
自分自身の心の現象にゆっくりと目を向ける良い機会となりました。
なので、文章を作りながらふと思ったことをここに書いておこうと思います。

 

社会構成主義を基に開発されたセラピー技法に、ナラティブセラピーというものがあります。

「現実は、語ることによって作られる」という考えにのっとったセラピーです。

 

例えば、中身の見えない小さな段ボール箱を持っている人がいたとします。
誰も何も言わなければ、

【箱を持っている人がいる】

という現実だけがこの世には存在します。
ですが、もし、

「この箱の中にはリンゴが入っているよ。」と、その人が語れば

【リンゴの入った箱を持っている人がいる】

という現実が初めて成立します。

 

つまり、言葉によって語られることが、あるコミュニティーの中で共有されることによって現実は創り上げられていくという考え方です。

 

これを個人の人生に置き換えることができます。人は自分についてを語る時、何らかの独自のストーリー性をその語りの中に含めています。

例えばパラレルワールドがあったとして、こちらの世界とあちらの世界の両方にあなたが存在しているとします。
そして、こちらでもあちらでも、あなたは全く同じ環境で同じ人生を歩んでいます。

普通の両親に育てられ、普通に学校へ通い、普通に就職して、普通に結婚したあなたに、「あなたの人生はどんなものですか?」と聞くと、

こちらの世界のあなたは、
「私の人生は何の面白みもなくつまらない人生だ。つまり私は特別秀でたものを持っていなくてくだらない人間なのだ。」と語ります。

一方あちらの世界のあなたは、
「私の人生は非常に穏やかで何不自由ないものだ。つまり私はとても恵まれていて幸福なのだ。」と自分の人生を語ります。

パラレルワールドで全く同じ事実を経験して生きてきたはずですが、
それぞれが語る内容によって、「つまらない人生」と「何不自由ない人生」という2通りの現実が存在していることが分かります。

つまり、事実に対して、その人物が語る独自のストーリー性(つまらない…、何不自由ない…、など)が、その個人にとっての現実を構成しているということなのです。

これをセラピーに応用すると、

〝その人自身の語りがその人をクライエントたらしめている可能性〟に目を向けることができます。

「わたしはいつも人から嫌われる。」

と語られる場合、果たして本当に〝いつも〟そうなのでしょうか?
いつも嫌われる。という自らへのストーリー付けが、その人を苦しめている可能性もあります。

ですから、悲劇的なストーリーが語られるのであれば、そうでないストーリーを見出せる可能性を探るのです。

 

今日は、このナラティブセラピーの解説がしたかったわけではないので、
だいぶ前置きが長くなってしまいましたが…。

何が言いたいかというと、セラピー云々を置いておいて、
誰にでもこれ(語りが現実を構成する)は言えるということです。

わたしたちの記憶はとても曖昧だと思います。
起こった事実は変わりなくとも、それに対する語り方、ストーリー付けの仕方で、その事実の見え方はあまりにも変わります。
そしてそのストーリー付けをする当の本人さえも、時の流れと共に変化しているものです。

私は今回エッセイを書くにあたって、自分にとって昔懐かしい記憶について書きました。改めて懐かしめば、見えなかったストーリーが見えてくるものですが、
しかし普段の日常では、やはり私の中で更新されずにいるストーリーが、思い出にフィルターをかけているものだな。ということを感じたのです。

一旦作ったストーリーは、放っておくとなかなか更新されずにいます。

実際は時間の経過とともに、自分の考えや捉え方が変化しているので、それに合わせてストーリー性も変わるはずです。
そうやって自動更新されるのならいいのですが、

いったん力強く完成してしまったストーリーは、見直す意識を持たないと、今の自分とはちぐはぐに更新されないままでいることが、しばしばあると思います。

簡単な言葉で言うと、「思い込み」みたいなものですね。

 

思い込みはラベリングされ、本当はすでに中身(今の自分)が変わっているのに、まだ昔の様式のつもりになってしまう。

だから、思うのは、自分の持っているストーリー性(思い込み)は、今それでいいのかと、時々更新をかけてあげたいものです。

いろんな経験をしようがしまいが、それが栄光であろうと苦労であろうと、過去が今と同じことは無いのだから

糧にするのはいいけれど、

経験値という名目で頑固にならないよう。過去が自分を狭めるものにならないように。いつもフレッシュでいたいものだ。と思いました。

 

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