こんにちは、アートセラピールームPOFの清水です。
今回は、わたしが「アートセラピーをやろう」と決めるきっかけになった時期のことをお話しようと思います。
この頃の経験や感じたことが、「自己肯定感(=そのままの自分を一つ一つ感じてOKを出していく)を育むアートセラピー」に直結していると思います。
個人的な体験話になりますが、無意識に作り上げてきた自己像を手放すことの解放感をシェアできれば嬉しいなと思い書いています。
絵を描くことを捨てられなかった
わたしは昔から絵を描くことが好きでした。美術大学に在学していた頃から細々と作家活動のようなことをしており、社会人になってもそれは続けていました。
しかし東日本の震災があって以降、活動が思うようにいかなくなり、何をどう表現したいのかも分からず、誰に描いてと頼まれているわけでもないのに、絵が描けない罪悪感が募り、惨めな気持ちになっていました。
そんな時、当時お世話になっていた画廊の方がふと「留学でもしてきたら?」と私に言いました。
大した意味はなかったと思います。でも私は、「そりゃいいや(現状から逃げる大義名分ができるな)」と思って、私は仕事を辞めてロンドンにアート留学をしました。
現実逃避の空白の時間
そんな動機だからか留学生活が始まっても、やる気はいまいち起きない。
学費やら生活費やら留学用に貯めたお金はどんどん無くなってゆく。
周りと比べて、自分だけが根無草のように思え、不安と焦りは大きくなっていきました。
でもその時の私は、
ただ“海外にいる”ということだけを免罪符にして、「〝やる気〟も〝焦り〟も一旦置いておこう」と、時間をたっぷりかけて現実逃避をしました。
無駄のように思えますが、私にとってはそれが良かったのだと思います。
何かにとらわれることなく、ただ、流れる日常の中で色んなものを見て、感じて。
毎日本当にそれだけでした。
そうしている内に、これまで凝り固まっていた自己感が、少しづつ削ぎ落とされていきました。
自分の感覚をそのまま素直にキャッチできるようになってきた頃、
私はやっと、絵を描くことを手放そう と思うことができました。
ひとつ捨てるとひとつ手に入る
本当は、もうずーーっと前から、アートをする情熱や欲望は、私には大して無かったのです。
単に、思い込みの強さと、引くに引けない謎のプライドのせいで、
ずっと絵を描くことにしがみついていました。
それでヨーロッパにまで行ってしまった。
でも結果的には、行ってよかったと思います。
そして、一つ捨てると新しい一つが手に入るとよく言いますが、
私は留学中にアートセラピーと出会いました。(厳密にいうと大学時代にアートセラピーの授業を取っていたのですが、改めて出会ったという意味で…)
アートセラピーを通して、アートの持つ療法的な要素を体感したとき、
私は、美大に入学した時の最初の講義で「芸術とは何か?」と問われたことを思い出しました。
(正解は分からないのですが)
芸術は、限られた人間にしか理解できない高尚で希少なものを指すのではなく
もっと身近で、誰もが持っていて、とても生活に根ざした何かが、具現化されたものなのかもしれない。
絵にこだわっていた理由
人は、表現を通して、
自分の中にあるどうしようもない何かを吐き出したり昇華する感覚を、本能的に知っています。
だからアートは虚業と言われながらも、
昔から人間に欠かせないものなのではないでしょうか。
「私が絵を描く行為にこだわって(執着して)いたのは、
アートが持つ、人を活かす力に心惹かれていたからかもしれない。」
この時期にそう気付いたことで、帰国後、私はアートセラピーを本格的に学ぶことにしました。
当時を想うと、どん詰まりの時期ではあったわけですが、
「自分の感覚や気持ちを素直に受け入れること」が、自分にとっての「幸せな選択」につながることを実感した大切な思い出です。
最後まで読んで下さりありがとうございました。それではまた。
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